時のかさなり

ナンシー・ヒューストンの『時のかさなり』という本をよみました。
本を読むのは大好きなのですが、私にとってのそれは逃避の手段みたいなもので、
幻想的だったり、メルヘンとか、冒険とか、現実に近くても現代ではなかったり、
全然違う夢のような世界に行くための時間、あるいは一人の中で展開している世界?とか、
よく分からなくなりましたがとにかく、逃げ込んだり迷い込む場所として好きなのだと思います。
エンデとか、泉鏡花とか。
それでどうしても、戦争とか、宗教問題とか、特に時代が近いほどそれはリアルで避けてしまうのだけれど、知っているようで全く知らないことだらけなのは罪だと今日やっと思いました。
恋は罪悪ですって悩むのもいいけど、それはなんというかむしろロマンチックな自己否定だなとか思って。
言葉によって話は伝わって、私はこういうふうに人の4代にわたる世界をみてしまうことができるけれど、
またその言葉と、作り上げてきた世界によって人と人が隔てられてしまう。
あの子が私のものを取ったから仕返しにぶってやろうとか、
あの子がぶつから私もとか、
ちょっと年をとったらやめるはずの事なのに、人がたくさん集まるとどうしてもその動きが幼児みたいになってしまうのは不思議だなといつも思います。
色々細かいめんどくさいことがあるにしても私はよく分かんないな。
とにかくその本をもう一度初めから読むところです。
おもしろいというより、あー本てすごいなあと、息ができなくなるかんじ。
一方私はこんな短い文章でも、書きたいことがめちゃくちゃになって大混乱してしまうので、すごくもどかしい。
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話かわって今日は父の誕生日です。
両親が病気もせずに元気で一緒にいられるのは本当に幸せなことだなあと思うのだけれど、つい忘れてしまうことが多い。
よく聞く言葉なのになあこれ。
おめでとう。