happy new year! 2022

あけましておめでとうございます。

昨年中はみなさま大変お世話になりました。

コロナ禍でもわたしは普段とかわらずかと思いきや、なんとなく外と内があいまいになっておぼんに満たした水がずっとぐらぐらしているような状態で、2021年はそれを鎮める自分だけのおまつりの絵をずっとかいていました。

今年も引き続きその絵を描いて行くのですが、少しずつ地面が踏まれて鎮まり、にぎやかに行列を組んで歩いていけるような気がしています。

いつもsnsなどで見守ってくださっている方々、みみずくさん、家族、恋人、だいすきなぎんちゃん、2022年もどうぞよろしくお願いいたします。

みなさまにとって素晴らしい一年になりますように。

大山美鈴

アルファベットシリーズについて

展示「Topos」には最近ずっと取り組んでいるアルファベットのシリーズをメインに、過去作品やお仕事でかいたものなどを持っていきました。
アルファベットのシリーズというのはまず辞書をひいて、単語を選び(ほんとは完全に無作為にできたらいいけどわたしの技量不足)それがだいたい16ページとかそのくらい。そこからさらに画面をまとめつつ単語を減らして、全体のラフから一枚ずつのラフに分解して(これはDのメモ)

何枚か紙を重ねている作品の場合は、一枚目から奥にむかうかんじです。

絵はかきはじめてから出来上がるまで時間がかかるのでその時間のズレと、絵の中の時間と、コンセプトの時間のすべてのズレがどんどん差を広げたり詰めたりしておもしろいのと、
あとアルファベットを選んでいるのは単純にあいうえおより数が少ないという理由もあるのですが、馴染みがあるものの第一母語で使うひととは繋がるイメージにやはりズレがある(というより大きい、日本語もズレはかなりあるとおもう)というところがおもしろいとおもって、
そういう浮きのあるシリーズです。
層については一枚の紙にかくときも、「見た目はつながっているのに行けないところ」や、
「見た目はずれているはずなのにいけるところ」という、わたしが日常で意識する境界とは別の境界についてよく考えていて、それを図式化(?なんていうのだろう、実践?)したときに何枚重ねかになったり、
アクリル板を浮かせるような形になったりして、まだ模索中です。

Dの絵と、Toposの展示風景を少しだけ。
また写真整理できたら載せます。

ご来場いただいたたくさんの方々、どうもありがとうございました。
とてもうれしかった。

『ぎんちゃんとわたし』掲載情報など

9月17日
JFNのラジオ「simple style -オヒルノオト-」中のコーナーで、
『ぎんちゃんとわたし』のお話をしてきました。
華恵さんが本の中から特に大事な「穴」の話をとりあげてくださって、
きっとねこさんを大事におもっているのだなあとうれしかった。
https://park.gsj.mobi/news/show/59307

9月28日
9/28発売のMORE11月号、〈BOOK〉のところで『ぎんちゃんとわたし』が紹介されました。
ライターは鳥澤光さんです。
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「spell」について

今回の展示および共作にあたって何案か関心事をあげた中から、〈夢〉をふたりの共通項とすることにしました。わたしは何年もずっと見た夢のメモをとっているので、そのメモを軸にそのほかの日常のメモや日記のたぐいを組み合わせて絵にしていくことにしました。
まず夢のそとでは外部が自分のなかに満ちており自分は受信するだけのアンテナとして機能しているのが、夢のなかではそれらの組み替えが可能になる。記憶の中で、においや手ざわりや音が視覚情報から切り離されてしまって、そうしたイメージの断片が、モニター越しの画像や文字から想起した映像などと区別がつかなくなる。それはそのこと自体がバラバラに書き散らされたメモに似ている。
現実と地続きだが同時には見られないレンチキュラーシートのような関係性、つまり山だ!やはりあちら側に行くには山が必要だな、と思い共作では山をかくことにしました。山を越えるとバラバラメモの世界。あとわたしは昔読んだ本にあった、夢をみるのが壺中天(壺の中に入ると桃源郷があったという話)のようなものだという文をずっと鮮明に覚えていて夢のイメージが壺でもあるので、壺も多くかいています。

そしてタイトル「spell」について。
大山さんはこの英単語を〈綴る/つなぎ合わせる/文字が語を形づくる/魅了する/呪文/まじない/魔法/魅力〉このうちどの意味でテーマとしているのですか、というような質問をされた時うまく答えられなくて「夢とその他のメモをもとにしているので〈綴る〉がメインです」というようなことを言っていたのですが、こういう具合にことばを書いたり、そのことばを組み合わせたり組み替えたりしていくことで世界のあり方がかわる呪的な力を持ちうるというのが一見「綴る」から離れて見える「呪文」や「まじない」という意味でのspellだと思っているので、羅列された訳のすべてがテーマというか制作過程そのものなのではないか、と、このタイトルを付けました。
形そのものに指し示すもののある漢字と比べてアルファベットそれ自体にはそれほど意味がない、だからグラデーション的に意味の拡がりをもつような気がしている。
綴ることによってまず意味されるところのものが別の形に変化するというのはたしかに魔法だし、アルファベットの形になった単語が組み合わされていくさまは、情報が等価になってコラージュのように組み合わされる夢と相似の関係なのだ。

happy new year! 2019

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あけましておめでとうございます。

みみずくさん、友だち、恋人、家族、ぎんちゃん、2018年もたくさんお世話になりました。
いつもどうもありがとう。
絵をかいてきてほんとうによかったなあ、と思うことが何回かあって、
そう思うくらいに気に入った絵もかけたりして、のんびりだけれどぎゅっとしあわせな日々です。

2019年はいくつかたのしみなお知らせがあるので今からそわそわわくわくしています。
年賀状は海辺に凧あげをしにいったときの景色をかきました。
みなさまにとって、素晴らしくてあたたかな一年になりますように!
今年もどうぞよろしくお願いします。

大山美鈴

happy new year! 2018

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あけましておめでとうございます。

2017年は、依頼してくださったひとりのために絵をかく、ということが何度かあって、おうちで誰かのためにつくられる日常的だけれど特別なごはんや、あるいは大勢のだれかに対してではなくて少人数とのあいだにあるきらきらしたことばについてよく考えていました。
名前のわからない誰かと話をしようとするとき、ことばは乱反射して鏡のなかで往復し像がつらなる。
鏡像との往復は虚空に対峙するようだ、と思ったけれどたぶん往復のあいだに何かしら特別な、光とか収差のかがやきのようなものが生まれているのだ。
対特定のだれか、と、対大勢、もさまざまで、そのあいだにもありとあらゆることばが存在していて、それは言語でも絵でもまだわからないことだらけなので、引き続き考えたり耳を澄ませたり目をこらして書いたり描いたりしていきたいなと思っています。

みみずくさん、友だち、恋人、家族、ぎんちゃん、新しく出会ったひとたちやものごと。
昨年もまたほんとうにお世話になりました。いつもどうもありがとう。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2018年がみなさまにとって、素晴らしく特別な一年になりますように!

大山美鈴

happy new year ! 2017

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あけましておめでとうございます。

みみずくさん、友だち、恋人、家族、ぎんちゃん、あたらしく出会ったひとたちと、これから出会うひとやこと。2016年もお世話になりっぱなしで嬉しいことだらけでした。
本当にいつもどうもありがとう。

時間は今いるところからしか見えないので、過去や未来の遠いところがモノクロにぼんやりして
心もとない気もちになったりもするけれど、
そういうフワフワっとした時間もあざやかに保存されていて
絵やことばのどこかしらを立体的にしていくという気がするので、
できる速さで、一生けんめい好きな絵をかこうと思います。
slow and sure というやつ。

2017年がみなさまにとって、
素晴らしくてやわらかな一年になりますように!
今年もどうぞよろしくお願いします。

大山美鈴