絵をかくとき、「これ!」っていう迷いない決断があるわけじゃなくて
たいていは「違和感」てやつのガイドがあって色をぬったり線をひいたりする。
これ違うな…って手探りですすんでゆけば絵は完成に近付くけれど、
どうも日記の違和感をどうすればいいのか分からない。
誰にむかって話しかけてるのか、
話し言葉か書き言葉か、
独り言でいいと割り切るにはやっぱりこの、キーボードに向かってる形は
変。変である。変だ。変です。変じゃない?変だよね。変に思う。
ゲシュタルト崩壊。
読み物であれば、それなりに見栄えの良い言葉を選んで
丁寧に、回りくどい言い回しで、ない物もあるように描けば良いでしょう。
自分だけの紙の日記だったら、キティ的なだれかか自分にあてて、
あったこと思ったことをずらーっと書いてる。特に違和感なく。
<夢:クローゼットの箱の上に埋め込み式テレビ、服にうもれている
今日は風がすごかった。又三郎読も!もう春かーはやいなあ>
けれどインターネットの世界の中で文に違和感があるのは、
不特定の他者に対する自分てやつがはっきりしないからなんだと思う。
自分がふだんしてる言葉づかい、癖、表情、考え方、反射、感情、
なんにも分からない知らない人。ふだん?
誰かに向かうことでやっと呼応して鏡みたいに自分ができあがる。
自分が考えてることは必ず誰かも同じときに思いついてて、
ということは私は誰かしらの思考をつぎはいでできてるだけの
誰でもない人なんじゃないだろうかと思ってしまう。
まあ最終的には「我思う、ゆえに我あり」なんだろうなあ。
やっぱり違和感だらけ。