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totenkopf

昨日R-MIXの『魔王転生』って舞台を見てきました。
ゲーム世界にあるような設定が舞台にとびだしてきてて
魔王と”鬼をまとった勇者たち”が戦うのですが、
(この説明だとものすごい省略されてしまうのですが、もちろん正義と悪のあいまいさとか、歴史が分かっていても繰り返されてしまうことだとかたくさん絡んでいる)
3時間ちょっとなのにおもしろくてつるっと。
音楽が特にかっこよくて、スペシャルステージまで見にいってしまいました。
植松伸夫さんやら下村陽子さんやらたくさん作曲家の方がいらっしゃって、
うっかり我を忘れて大興奮でした。
高校のときクラスみんなで劇をやるイベントがあったのですが、あれもう一回やりたいなあ。

タイトルは「どくろ」なんですが、
最近ドクロについてたまたま学んだことがいくつかあって、
古いオランダの絵(教訓集みたいなやつ)にモチーフとしてどくろが登場してて
それはこの世の空しさを表わすヴァニタスと呼ばれるものなんだとか、
ドイツではどくろは国防軍(だったかな)の伝統的な徽章で、骨になっても国を守る意味でつけてたとか。おもしろいね。
私はしゃれこうべって名称がなんか響き的にかわいいので好きです。
日本と外国の言語で、歴史によって作られてきた特別な差に今とても興味があって、どうにかそれをうまく活かしたいなと思っているんですがまだ構想だけ。
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そういえば5年ぐらいぶりに髪を20センチくらいばっさりと切った!
髪の毛もらっておけばよかったー今は自分の毛でエクステとか出来るのかな。
うちには小さい頃初めて髪きったときのものが木箱にしまってあって、
開けるとおさげが出てくるというホラーな木箱です。フフ…
なんか怖いめのことばっかり書いてしまった。
今オバケものいっぱい放映してますが夜中に観るとなんかやたら怖い。
夜の威力ってすごいわ。全て怖い。
そうだ、「天秤街の春」という絵が出来上がったので、そのうちのせようと思います。

the fall

先日「落下の王国」見てきました。
本当に大好き!
閉じられた空間でお話に飲まれてゆく経験が小さいころの私にもあるけれど、
知っている景色を適当につぎはぎしていった話がいつのまにかひとりでに動き出す、現実とからみあう、現実と夢の間にあるのだけれどもやもやしてよく見えなかったところが鮮やかにうつっているかんじ。
見終わったあとふわふわしてしまう。
全てのシーンの色彩が本当にきれいで、わざとらしくも見えるのだけどだんだん絵から絵本になって、映像になって、現実になってゆくみたいでした。
白黒と色と、色あせているところと、
ゆっくりのスローモーション、めまぐるしいところ。
でもお話の場面も現実の中で作られているんだよなあ。
その場しのぎで作っていった、ちょっとちぐはぐなお話がどんどん転がり始めて、でもやっぱり語られているもので、でも…みたいなあいまいさとか、
本人には分かっているから説明しない部分とか、
一方的なシンパシーを感じたりして泣きました。
衣装もほんとにきれいだった!
あーこんなところを作ってしまえる人がいるんだね。もう一回見れるかな。

題がうかばない

ずっと描いてた絵がやっとできあがりました。
いつもは水彩で上からなおせないので、仕上げに色鉛筆で一通りトーンを落としたりして、それから必要ならラメを入れてたいてい満足するのですが、
今回はアクリルでかいたので上からなんか足そうかどうしようか迷います。アクリル便利だ。
でもやっぱり水彩絵の具がすきです。次どうしようかな。
そのうちのせようと思います。
いつのまにか大嫌いな夏が遠ざかるところで、アニメたちもぞくぞく最終回を迎えてゆくし、ブーツやらチェックやらファーが現れて、
冬が楽しみで心躍ります。マフラー!
でも夏がどんどん長くなっているようで、
「日本の特徴は四季がはっきりしていることです」
とか、そのうち学校でも習わなくなるのかな。
目隠し鬼さん手のなるほうへー
秋がなくなったらもの悲しい気分にひたる時間もなくなりそうな。
題どうしようかしら。
ぎんちゃん(うちのねこ)が向こうで騒いでいます。

バットマン!

先日”THE DARK KNIGHT”見てきました。
なんというか本当すごかったです。
バットマンは人間ぽくて迷いまくりで、でもやっぱマスクをかぶれば屈しない闇のヒーローなんだけど、
対するジョーカーは何にも脅やかされることがなくてブレない。
よく分かんなくて恐ろしいけどかっこいいなあジョーカー。
前のウワーイ楽し〜いっておしゃれな感じじゃなくてやばかったです。
やっぱ紫だね。三つ揃い。どろっとしてました。
あとマシーンも素敵!スマートじゃないけど。
ゴッサムシティが前みたいな架空のコミック的な暗かわいい街じゃなくて巨大な暗い夜にのさばる都市になってておもしろかったです。
明日から3日間、アジア海洋映画祭イン幕張が始まります。
日曜は私も出席してポスターにサインしたりする予定です。楽しみ!

ただいま


帰国しました。
時差がなんかへんなふうに…
月並みだけどもただいまっていい言葉だなあ。
あとbonne journeeって言葉もいいなって思った。良い1日を。


プラハの街はちょっと小さくて、おかしみたいな家がたくさん並んでいて、
すごいかわいいのにドクロのモチーフとかところどころにあっていい感じでした。
クルテクもいっぱい。
名所も行ったけど、やっぱり小さいおうちとか裏の小路がかわいかった!
ちょっとへんてこな看板とかたまらないね。
人形劇もみました。
チェコの演劇学校には人形劇科があるんだってさ。いいな〜
シュヴァンクマイエルのスタジオも見てきました。
でもなんか、街と人形劇をみてたら「ファウスト」とかアリスでさえ、すごい日常とかけ離れた映像ではなくてここから生まれてきたんだなということが思われて、
じゃあ私は東京のなんかしらをちゃんと見れているのかなと迷子みたいな気もちになりました。
ずっと東京に住んでるのになんにも見てないかもなと思って。
知らぬ間にしみこんでるものってあるのかしら。
ヴィチェルニーチェクのぬいを買ってきました。

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すきなもの

好きな作品が自分の作品にどう影響するのかというようなことを友人にきかれたので考えたこと
思いつきは結局今まで見てきた全部がごちゃごちゃと組み合わさって生まれているから、好き嫌いに関わらず何か見たり聞いたり動いたら絶対影響はしているんだと思う。
でも中でも二通りあって、私のすきなものは
絶対まねできなくて憧れ焦がれているけれど追いつけないから見てるだけの、

受けた印象とか雰囲気とかが自分の根っこにからまって離れなくて、方法やアイデアを無意識か・または意識的に真似たり組み合わせる
のがあるかなと思いました。
書いててもよく分かんないけど。
でも時々自分のイメージだったか他のイメージまるまるそのまんまなのか忘れちゃうことがあって、それは怖いことだわ。
いきなりぽっと浮かんできた光景とか言葉とかがどこかで見たものだったか今思いついたものなのかの区別をするのに、引き出しをがんがん叩いて、
書類の山をかきわけて手ざわりで見つけ出すかんじ。
分かりやすいのならいいんだけど、夢うつつで見た映画とかが厄介なんだよな…
きのうは「力を使うと目の色がほとんどしろになるんだ!」
みたいなセリフが、漫画ということは分かったんだけどなかなか出てこなくて(もちろん自分の部屋とごっちゃにはならなかったけど)半日悩んだ。
海の闇、月の影?だったかな?のセリフだった!ジーンだっけな…
見れば分かるけどなんかしゃくだから調べない。


最近やっとミシンをぼちぼち使えるようになったので、縫い物がすごく楽しいです。右はミスター歯なのに母はぞうさん?と言ってた。

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梅の雨

そしてもうすぐ暑い季節がやってくるわ…どんより。
先日初めて、友だちの結婚式をお祝いしてきました。
おめでとう感慨ぶかいなあ。じーん
二人ともすごくお似合いで、人に楽しんでもらおう!っていう
工夫に溢れてるかんじで幸せな気もちになりました。
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あと上海にいってきた!
二つの全く別のものが混ざりあっているかんじがすごくおもしろくて、
すごくクラシックな石造りのきれいな建物にごちゃごちゃと洗濯物が広げてあったり、
長江をはさんだ古い街と新しいビルの森、
西洋風で中国風なたてもの、
廃墟のうしろに最新式のビルが聳え立ってたり。
でそれらの絶妙なバランスのたてものにくっついてるやたら大きいネオンサイン。
曇り空に連凧があがってて、人が多くて、それらと私のちぐはぐなかんじ。
が、全部混ざり合って魔都の雰囲気。
私の想像の上海は王安憶が書いていた世界の雰囲気のままで、
実際の豫園はすごくたのしかったけれど、見たら満足してしまって
来たあとだったら「上海ノスタルヂィ」は描けなかったのかも知れないなと思いました。
ふつうに現実にとけこんでるとこなんだなあとびっくりした。
(スターバックスとかマクドナルドが建物の中に入ってたりとか笑)
本の中の世界はやっぱり実在のところでも私にとっては大概とてもあいまいで
ファンタージェンと繋がっていて、決してたどり着けないところになっているんだなと思った。
川沿いを歩いていると時をつげる鐘が聞こえてきたりして、そういうのがすごく残る。
景色とかはきっとすぐ忘れていってしまって、でもおぼろげな記憶くらいの方がいいのかもな。
あと窓とかがかわいかった!
そしてとても人にお世話になりましたありがとう。
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ところで東京のネオンサインばっかりの写真集ってあるのかなあ。
今すごくほしい。

森と木と平衡感覚

作品一点の中に入り込んでその中で遊ぶか、
自分の存在も含めた、作品のある空間全体の雰囲気に遊ぶか。
自分はたいてい森よりも木を見ている気がします、
当たり前なのかも知れないけど。
たまに聞かれたときなんて答えればいいか考えて、
的はずれなことを言って、あとからなんだかなあと思うことがある。
んーなんか違うこと言ってしまったなあとぼんやり思う。
好きな画家というよりも好きな一枚の絵、
好きな作家より好きな作品、
好きな演奏家や作曲家やアーティストよりすきな一曲、
好きな監督より好きな映画、
好きな美術館より好きな展覧会、
好きな国より好きな場所。
でもお気に入りの木がたくさんある森は好きなのか。
その作り手の作り出すもの全てが好き!ってことはすごいことだと思う。
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私にとって不思議なのは、森と木どっちに重きを置いているかの違いが
平衡感覚と必ずしも一致しないということで、
説明しづらいのだけれど。
ある人はとにかくたくさんの言葉や色や形をうず高く積み上げて、
それでやっとバランスをとろうとする、
でもまたある人は簡潔にごく少しのものを選んで、
それだけで絶妙にバランスをとることができる、
でも二人共通して、大きなくくりより一点に視点がある、というかんじ。
まあイコールになるほうが不思議なのか。
読むという行為は本来誤読である、ってなにかで読んだけれど
文章を書くのは本当むずかしいわー
言葉に変換するときのズレと、更に受け取る側のズレと、
どうしても気になってしまう。
でもどうしようもないな、そんなにもずれているのに崩れてしまわずに
どこかでどうにか修正されてどうにか積み上げられている。

きつねのよめいり


きのうできあがったコラージュ作品の部分。
「きつねのよめいり」
すごく久しぶりに全然違う絵をしあげたのですが、
もっと別人が作ったようになるかと思いきや、あんまり変わらないもんなんだなと自分では思いました。
楽しかった☆
英語訳だとsun showerとかになっちゃうみたいで、
そういう、その国だけの言い伝えからきてる名前とか言い回しっておもしろいです。
そういえば寺山修司の未発表歌集を読んでるのですが、一ページに一行の文字が、
しずくがぽーんと落ちるようで波紋がずっと遠くまで広がってゆく感じがします。
視界いっぱいのぼやぼやをぎゅっとここにつめたような。
たくさんのお話が入っているようです。
表紙の紙質以外はすごく好き!
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ところでやっと「13月のうぐいす」をアップしました。
ほんとに遅くなっちゃってごめんなさい!
紙が三枚スキマをあけて重なってる、舞台装置みたいなかんじの絵なのですがどうもうまく見えないかな。
もっといい写真をとれたら差し替えようと思います。
なんかぼやっとしてるし。
むしめがね機能がつけられればいいんだけど。
紫がにごっている。

ぎんだら

ぎんちゃん(ねこ)は、ちょっと目がさめて私がいないと、
お気に入りのマウスのぬいぐるみをどこからか見つけてきて、くわえて、
くわえたまんまで鳴きながら探しにきます。
くわえてるからちょっと声がこもっていて、
「ぎんちゃん!」
呼ぶとそれをポトっと落として、たたたっとだんだん速く駆け寄ってきて、
足元をすりーすりーと8の字を書いて頭をくっつけてくる。
そりゃもう、あーかわいい。

こういうらくがきがそこら中にいっぱいばさばさ。
次の誕生日がきたらぎんちゃんは人間年齢で私より年上になるみたいで、
なんだかその時間の流れの違いは時々数字になって出てきたりして、
考えこむとどうしようもなくて息苦しい、
悲しいというか愛おしいというか「カナシ」というかんじがよく分かるような気がする。
今朝ハハがそのぎんちゃんを抱っこして、言いました。
「ねこって背骨ないんでしょ?」
本当にたまにだけれど突拍子もないこと言うからおもしろいなあ。
まばたきしないんだねとか、時々私と呼び間違えたりとか。
先日は父が、本棚にのぼっていばっている彼をみて
「ふくろうみたい」
と言ったその同じ日の夜に、彼女はそこにいなかったのに言いました。
「ぎんちゃんてふくろうちゃんみたいね」
おお夫婦ってこういうものなのかーと、ちょっと感動した。
あざらしじゃなくてふくろうだったわ。