あけましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
今年は自分のなかの部屋のドアを少しずつ開けてまわるというような気分で、そのために歩くことと書くことをしていきたいなと思っています。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさまにとって素晴らしい一年になりますように!
大山美鈴
あけましておめでとうございます。
昨年中はみなさま大変お世話になりました。
コロナ禍でもわたしは普段とかわらずかと思いきや、なんとなく外と内があいまいになっておぼんに満たした水がずっとぐらぐらしているような状態で、2021年はそれを鎮める自分だけのおまつりの絵をずっとかいていました。
今年も引き続きその絵を描いて行くのですが、少しずつ地面が踏まれて鎮まり、にぎやかに行列を組んで歩いていけるような気がしています。
いつもsnsなどで見守ってくださっている方々、みみずくさん、家族、恋人、だいすきなぎんちゃん、2022年もどうぞよろしくお願いいたします。
みなさまにとって素晴らしい一年になりますように。
大山美鈴
あけましておめでとうございます。
2019年は二人展にはじまり、『ぎんちゃんとわたし』書籍化、たくさんのすばらしく楽しいお仕事にも恵まれ、7年ぶりの個展で1年をしめくくるという盛りだくさんの年でした。
会場にいらしてくださった方々、SNSなどを見守っててくださった方々、本を手にとってくださった方々、みみずくさん、家族、恋人、そして大好きなぎんちゃん。
たくさんのかたがたにお世話になり、たくさんのものをいただきました。
いつもほんとうにありがとうございます。
絵をかいているときはひとりで自分のなかに降りていくような作業で、自分ひとりの神さまと地図をかくような感じなので外に出すときはとてもこわいのですが、外に出るとそこからいろんなところに飛び回りつながっているというのがわかったりして、自分の外側から美しい波紋が届いて、
ことあるごとに絵をかいていてよかったなあとおもいます。
2020年は自分の外とつくるお仕事をもりもりしていきたいなあとおもっています。
みなさまにとって、素晴らしい一年でありますように!
今年ものんびりがんばります、どうぞよろしくお願いいたします。
大山美鈴
展示「Topos」には最近ずっと取り組んでいるアルファベットのシリーズをメインに、過去作品やお仕事でかいたものなどを持っていきました。
アルファベットのシリーズというのはまず辞書をひいて、単語を選び(ほんとは完全に無作為にできたらいいけどわたしの技量不足)それがだいたい16ページとかそのくらい。そこからさらに画面をまとめつつ単語を減らして、全体のラフから一枚ずつのラフに分解して(これはDのメモ)
何枚か紙を重ねている作品の場合は、一枚目から奥にむかうかんじです。
絵はかきはじめてから出来上がるまで時間がかかるのでその時間のズレと、絵の中の時間と、コンセプトの時間のすべてのズレがどんどん差を広げたり詰めたりしておもしろいのと、
あとアルファベットを選んでいるのは単純にあいうえおより数が少ないという理由もあるのですが、馴染みがあるものの第一母語で使うひととは繋がるイメージにやはりズレがある(というより大きい、日本語もズレはかなりあるとおもう)というところがおもしろいとおもって、
そういう浮きのあるシリーズです。
層については一枚の紙にかくときも、「見た目はつながっているのに行けないところ」や、
「見た目はずれているはずなのにいけるところ」という、わたしが日常で意識する境界とは別の境界についてよく考えていて、それを図式化(?なんていうのだろう、実践?)したときに何枚重ねかになったり、
アクリル板を浮かせるような形になったりして、まだ模索中です。
Dの絵と、Toposの展示風景を少しだけ。
また写真整理できたら載せます。
ご来場いただいたたくさんの方々、どうもありがとうございました。
とてもうれしかった。
9月17日
JFNのラジオ「simple style -オヒルノオト-」中のコーナーで、
『ぎんちゃんとわたし』のお話をしてきました。
華恵さんが本の中から特に大事な「穴」の話をとりあげてくださって、
きっとねこさんを大事におもっているのだなあとうれしかった。
https://park.gsj.mobi/news/show/59307
9月28日
9/28発売のMORE11月号、〈BOOK〉のところで『ぎんちゃんとわたし』が紹介されました。
ライターは鳥澤光さんです。
今回の展示および共作にあたって何案か関心事をあげた中から、〈夢〉をふたりの共通項とすることにしました。わたしは何年もずっと見た夢のメモをとっているので、そのメモを軸にそのほかの日常のメモや日記のたぐいを組み合わせて絵にしていくことにしました。
まず夢のそとでは外部が自分のなかに満ちており自分は受信するだけのアンテナとして機能しているのが、夢のなかではそれらの組み替えが可能になる。記憶の中で、においや手ざわりや音が視覚情報から切り離されてしまって、そうしたイメージの断片が、モニター越しの画像や文字から想起した映像などと区別がつかなくなる。それはそのこと自体がバラバラに書き散らされたメモに似ている。
現実と地続きだが同時には見られないレンチキュラーシートのような関係性、つまり山だ!やはりあちら側に行くには山が必要だな、と思い共作では山をかくことにしました。山を越えるとバラバラメモの世界。あとわたしは昔読んだ本にあった、夢をみるのが壺中天(壺の中に入ると桃源郷があったという話)のようなものだという文をずっと鮮明に覚えていて夢のイメージが壺でもあるので、壺も多くかいています。
そしてタイトル「spell」について。
大山さんはこの英単語を〈綴る/つなぎ合わせる/文字が語を形づくる/魅了する/呪文/まじない/魔法/魅力〉このうちどの意味でテーマとしているのですか、というような質問をされた時うまく答えられなくて「夢とその他のメモをもとにしているので〈綴る〉がメインです」というようなことを言っていたのですが、こういう具合にことばを書いたり、そのことばを組み合わせたり組み替えたりしていくことで世界のあり方がかわる呪的な力を持ちうるというのが一見「綴る」から離れて見える「呪文」や「まじない」という意味でのspellだと思っているので、羅列された訳のすべてがテーマというか制作過程そのものなのではないか、と、このタイトルを付けました。
形そのものに指し示すもののある漢字と比べてアルファベットそれ自体にはそれほど意味がない、だからグラデーション的に意味の拡がりをもつような気がしている。
綴ることによってまず意味されるところのものが別の形に変化するというのはたしかに魔法だし、アルファベットの形になった単語が組み合わされていくさまは、情報が等価になってコラージュのように組み合わされる夢と相似の関係なのだ。