絵をかくとき、「これ!」っていう迷いない決断があるわけじゃなくて
たいていは「違和感」てやつのガイドがあって色をぬったり線をひいたりする。
これ違うな…って手探りですすんでゆけば絵は完成に近付くけれど、
どうも日記の違和感をどうすればいいのか分からない。
誰にむかって話しかけてるのか、
話し言葉か書き言葉か、
独り言でいいと割り切るにはやっぱりこの、キーボードに向かってる形は
変。変である。変だ。変です。変じゃない?変だよね。変に思う。
ゲシュタルト崩壊。
読み物であれば、それなりに見栄えの良い言葉を選んで
丁寧に、回りくどい言い回しで、ない物もあるように描けば良いでしょう。
自分だけの紙の日記だったら、キティ的なだれかか自分にあてて、
あったこと思ったことをずらーっと書いてる。特に違和感なく。
<夢:クローゼットの箱の上に埋め込み式テレビ、服にうもれている
今日は風がすごかった。又三郎読も!もう春かーはやいなあ>
けれどインターネットの世界の中で文に違和感があるのは、
不特定の他者に対する自分てやつがはっきりしないからなんだと思う。
自分がふだんしてる言葉づかい、癖、表情、考え方、反射、感情、
なんにも分からない知らない人。ふだん?
誰かに向かうことでやっと呼応して鏡みたいに自分ができあがる。
自分が考えてることは必ず誰かも同じときに思いついてて、
ということは私は誰かしらの思考をつぎはいでできてるだけの
誰でもない人なんじゃないだろうかと思ってしまう。
まあ最終的には「我思う、ゆえに我あり」なんだろうなあ。
やっぱり違和感だらけ。
「days」カテゴリーアーカイブ
うぐいす
去年から描いてた劇場の絵が、先日やっと完成しました。3枚組み。
「13月のうぐいす」。
春が本格的にやってくる前に仕上がってよかった〜★
ちょうどうぐいすが鳴きそうな。
ちゃんと写真できたら合わせてサイトにのせようと思います。
まいど更新のろのろで自分でもびっくりです。
今日久しぶりにPC開いてみたらメールが667件もきていたよ…
スパムメールのはじき方がわかんない、どったの先生。どうしましょう。
絵のきっかけというか根っこは、
<現実とおとぎ話は実はそんなに変わらないんじゃないか>ということで、
絵のなかに何か話があって、舞台上からこっちを見てる人がいて、
それを見てる人やら記述してる人がいて、
それをさらに記述してみている観客の人が私たちの舞台の外にもいるのだよね
と、劇場の絵にしたはず。
(しょっちゅう思うことだけれど、今自分で書いてても、
アーあたしの構成要素にはエンデがタップリだわと思った)
演目は『うぐいすの宿』にしました。
1月〜12月の座敷のかわりに『森は生きている』の月たちがでてきたりとか。
だからロシア衣装なんだけど季語の模様をいれたりして楽しかった♪
13番目のドアは開けちゃいけないのだけど、
でも開けなかったらそもそもきっとお話にならないから、
それを開けちゃうことで前の過程が全部つながったプチ歴史(お話)になるのかな、とか。さ。
いろいろ考えるのですが、最終的には動く絵というか
よそみしてる間に
「あれ?こっちの方ちょっとさっきと違くなってない?」
みたいなたのしいのが描きたい。と、最近思います。
中に逃げ込めるところ。
空白を補って自分と対話したりとか、こわい。
ぎんちゃんはイーゼル使ってるときはひざにのぼって絵をのぞきにきますが、
広げて描いてるとたまに絵の上にのべーっと丸く居座っちゃうので
コラって言うけれどかわいいからニヤニヤしちゃう。
ごはんと色ぬり
近ごろ気づいたことには、
私はごはんを食べるとき、いわゆる「三角たべ」
(ごはん、おかず、汁物、ごはん、おかず…って食べ方なはず)
がどうもできなくて、一品ずつ順番に平らげちゃうことが多い。
も一つ、色をぬるときにもやっぱり一ヶ所ずつ仕上げてから次の場所に移る。
ざっと何ヶ所かに色をのせて、とか、うーん未知の領域。
どっちも単純に「混ざるから」ってだけだと思うけども、
ピカソのごはんの食べ方とか気になるなあ。
あらゆる方向から食べるとか。
– – – – – – – – – –
春が近付いてきたからか理由はよく分からないけれど、
去年は白黒ばっかりきてたのにやっと色らしいものが着たくなってきました。
今年はどうやら青と灰色が好きみたいです。
その前は緑やら紫やら、なんだったっけな。
なんか年によって自然と集まっちゃう色があってふしぎ。
もしかしたら今白黒にちかい絵をかいてるから、それも関係してるのであろうかね。
– – – – – – – – – –
ひそやかにsyrup16gが好きで色ぬるとき良く流れてたのですが、
解散なんてさみしいなと思ってアルバム聴いたら
なんか予想外にすごくじんみりした。じんみり。
かなしい…
何人か集まって何かを作るってはじめから終わりの予感があって、
その不安定なかんじがいいのかなとも思う。
ほんとさくらみたいなかんじ。センチメンタル。
– – – – – – – – – –
むしば対策を自分なりに考えて、餌付けみたいに砂糖を別にあげればいいんじゃないかと歯医者さんに言ったら失笑されました。
別にかじってるわけじゃなくて、砂糖を分解するときの強酸が原因だそうな。
そういえばそんな絵本よんだかもしれない。
でも完全にむしば=虫食いのイメージ。「むしば」だし。
そして歯医者さんてなんであんなに怖いんだろう。歯はかわいいのに、形とか。
しばらくぎんちゃんと二人ぐらしです。
ひとめぐり
父が還暦をむかえました★おめでとう!!
例によって感慨ぶかいのに全然何書いていいか分からないのだけどすごいな一巡り。
こんなとこに書いてヤダヨーって言われるかなあ。
でも、なんだか私が生まれるずっと前から歴史があって、
私をまきこんで流れてるっていうのが変なかんじ。
あるいは私に意識ができたあとにその前と、後の歴史ができたのかもしれないと時々思います。それか毎日、1秒ごとに、連続してるかのような記憶が作られてるのかも。(lainみたい)
何か新しいこと考えつきたいなあ。
あ、よく聞かれるのですが、
何か思いつくのはオフロに入ってるときが多いです。
出どころは自分でもよく分からないけれども。
あと「脳みそ」ってなんかすごい表現だと思う。
とにかく色々ひっくるめておめでたい日でした。
やっぱりお誕生日はなんだかうれしいね。
15cm
きのう半年ぶりくらいに美容院にいきました。
(なんかしゃくだからサロンて言わない)
ほったらかしでおなかまでノビノビと渦巻くかみのけを、15cmくらい切りました。
しかも10年ぶりとかじゃなかろうかの段なし。重い!
やっぱり楽しいねうきうきするよ。
切るだけなのに、たかがかみのけされどかみのけ。
色とりどりなわけじゃないし毛のあつまりなわけだし、ほんと限られたことしかできないかと思いきや
形を思い通りにしたり、予想外なことになったり、選択肢いろいろで奥がふかいね。
大野さんはすごいなあありがとう。
あ、美容師さんはふだんもあのシャンプー術を自分にほどこしているのか聞こうと思ったのに忘れちゃった。
あけましておめでとうございます
日本に帰ってきました。
●旅行のまとめ●
ベルリンではクリスマスマーケットまみれになりました。
あとボンとパリ。
すごいかわいい床屋さんとか、電車に改札がないこと、
Danziger strasseのギャラリー、ミルヒライスのすしとか、
耳がいたいくらい寒かったこと、ハッケッシェヘーフェ、
クリスマスの音楽と教会のぎゅうぎゅうの席、おいしいソーセージとグース、
プレゼント!ろうそくのついたツリー、寒い部屋、停電、
ハイセショコラーデ、エッフェル塔がびかびかしてたこと、
変な曲がった家の絵がかいてある工事囲い、
すごい派手で情熱的なブラームスとバッハ、
ご近所のかばんの店、屋上のけしき、花火
たくさんあって何も書けないのだけれど、どこも街かわいい。
いつも思うけど人々はふつうにここで日常を送ってるってことが不思議なかんじ。
よく分からないけど何より空気が特別なのが楽しかったです。
そういえば東京に住んでてもあんまり見てないものっていっぱいあるんだろうなと思いました。
聞こえてくる音とか、道とか、家の形とか慣れちゃってて何も見てないような。
ドイツは木がどろーんとしていて、4時過ぎにはまっくらで、ほんとグリム童話みたい。
というより、ドイツで出来たからこそのイメージなのかこれ。
当時のドイツでの「グリム童話のこわいまっくらな森」は今の日本の電信柱たちとそう変わらないのかもしれないなと思います。
フランスはちょっとごてごてしてて、木が丸くて、灰色がかってて、かわいい。
そして本当にたくさん、いろんな人のお世話になった。
– – – – – – – – – –
去年一年、みなさまどうもありがとう。
色んなことがとてもありがたくて嬉しかったです。
今年もよろしくお願いいたします。
今年の抱負は「 」です。
– – – – – – – – – –
Bonne annee!
je vous souhaite bien du bonheur.
J’etais tres contente de vous voir, a Paris ou a Berlin ou a Bonn.
Je garderai un bon souvenir de mes vacance.
C’etaient tres jolies et tres speciales!
Merci beaucoup pour tout ce que vous avez fait.
J’espere avoir le plaisir de vous revoir.
A bientot,
Misuzu
箱女
しわす!
なんだか冬の到来にはしゃいでいる間に気づいたら12月になってました。
なんという一日坊主…
でも冬はほんとにいいね、空気がピンとして硬いかんじ。
寒さと比例して活動的になってきたので、あれを買いました。
あれ。キックボード!今さら!
でもすごい楽しいー!!
なんだか去年久しぶりにのったら自転車が苦手になってたのでちょうどいいです。
気分はちびまる子。
しかしコレ明るいときに自転車の道を走ればいいのかな?
ライトつけたりとかするのかなあ…謎。
気をつけようと思います。
写真はひと段落した絵(3枚組みの1)
森は生きているとかうぐいすの宿とかが主題なかんじ。
今年はロシアがあつかったのでロシア衣装。
でもけいたいでとったのであんまり見えないや。色悪。
出来上がったらちゃんとのせようと思います。
そしてクリスマスあたりはベルリンとパリで過ごしてきます☆楽しみ!
で、デンスケ…!
アーコイルおもしろいなあ。
デンスケ…しょんぼり…
なんだか毎日書いていたような気がしていたのに
もう1ヶ月たってしまってたのにびっくりです。あらら。
リップヴァンウィンクル。
でも寒くなってきてうれしい!
やっぱり冬がいちばんすきです。
そういえば絵の具の水も絶対つめたいのがすき。
関係ないかな
– – – – – – – – – –
おとといとその前にクリストフ・エッシェンバッハ指揮のパリ管弦楽団みてきたのですが、ほんとおもしろかった!
ベルリオーズのローマの謝肉祭、ストラヴィンスキーの火の鳥、
ラヴェルのラ・ヴァルスとボレロとマメールロア
あ、あとチャイコおじさんのヴァイオリン協奏曲。
バレエ音楽はバレエがなくても何しているところかちゃんと動画で見えるのだなあ
というか指揮者がバレリーナみたいだなと思ってみてました。
ラ・ヴァルスは丸とか振り子なかんじ。
ボレロはもちろん巨大渦巻きだな。動き的にも。
絵だとたぶん過程を経てきた結果くぎりのついたもの?が作品になってるけれど
(もちろん過程自体が作品にもなるけど、自分の場合は)
音楽は流れてゆくものなんだなあと思いました。
一回譜面に完成してはいるけどまたなぞって新しくぐるぐると?
うまく言えないのだけども
演劇とかもそうだけど、何回も生まれ続ける完成形みたいなかんじ。
ああ当たり前のことかな。
でもCDが丸い形で廻ると音がなるっていうのはなんかふさわしい気がする。
絵を四角いとこに描きたいのも。
そういえば視界って四角なんでしょうかね?視界の端っこ。
目玉は丸いから丸なのかなあー気になる!調べてみなくては。
ぐるぐると考えたこと
私は絵に関してアカデミックな教育をうけていないし、
本当に毎日このまま描いていていいのかなと迷い迷いその中で描いているので、
好きだと言ってくださる方の存在が本当に力になります。
あんまり反応できないのですがメッセージくださったり、とてもとても嬉しいです。
見てくださってるみなさまどうもありがとう。
– – – – –
発想力、について。
なんでも発明や発見されてしまっている現在、「自分だけしか思いつかないこと!」っていうものを
見つけるのは本当に難しいと思います。見つけられる自信ないです。
シュールリアリストの作る世界では、「組み合わせ」によって現実が現実から離れるんだそうな。
(たしかそんなような)
ミシンと、布じゃなくてこうもりとか。
専門の先生も同じこといってたな。やっと意味がわかってきた。
私も全く何もないところから作っているのでは全然なくて、
小さいときから読んできた本とか、アニメーションとか、音楽とか、景色とか
色んなところで受けた印象をちょっとずつつぎはいで、やっとのこと世界らしきものを形作っている感じ。
ちょっと間違えたらパクリになってしまうバランスだけれど、
まだまだ年月とともに色んなものが組み合わさってもっと自分の形になっていくんだと思います。
全くゼロからの「発想」というのはできないけれど、組み合わせの選択を増やすことによって、
いくらでもなんでも作れると思います。DNAみたい。
私はあんまりベタな言葉は嘘ぽくて好きじゃないのですが、
信じればできるとか、やればできるとか実は本当だと思ってます。
でもやっぱその言葉は嫌い。
インスピレーションに関して”欠けている”ということは絶対になくて、
まだ思い描くところに至るための組み合わせが見つからない、というかんじ。
私も本当に探り探り、
でもどんな組み合わせをしても絶対に届かない人がいて、
それは本当にうらやましくて焦がれに焦がれているのだけれど、
違う人で違う世界にすんでいるから重なることができないのでよけい焦がれる。
手が届かない。
そういう憧れの人がけっこういて、ちょっともどかしいです。
まとまらなくて読みづらくてすみません。
– – – – –
今日ずっと長いこと見つからなくてできなかったトワイライト・シンドローム(ゲーム)をやってました。
怖かった…
でも私は「裏側の街」ってシナリオがとても好きだったということだけ覚えていてやりたくて、
雰囲気だけでくわしい内容はうろ覚えだったのですが、終わったあとに
あたしの根っこ的なものがこんなところにもあったのね、と思いました。
それとも、自分で作ってきたイメージに近いというだけなのかなあ。
ずっと夕焼けのあとの夕闇の青い時間が好きなのですが、
それもこれの影響だっけ。どっちが先なんだろ。
存在ってあいまいなんだなあ。
夕焼けで全部あいまいになるかんじ(たそがれってやつ)
とかもどっかで覚えてきた感覚なのかな。
とか、色々考えました。